中世ヨーロッパ慈善団体の資金集め

ALSの募金集めのために、著名人が氷水をかぶっていくという「アイスバケツチャレンジ」が話題となっています。 賛否両方の意見を見かけますが、まあ資金集めという目的のためには良い手段だよね…と思って眺めていました。

出張帰りの新幹線で、塩野七生『ローマ亡き後の地中海世界(2)』を読んでいたら、イスラム海賊にさらわれたキリスト教徒を救い出すための団体についての章がありました。どこまで資料の裏付けなどあるかまではわかりませんが、話として、ALSの話を連想するなと思いましたので、残しておきます。

登場する団体は、ふたつ修道会と騎士団です。 「奴隷たちを救済する目的で設立された、神聖なる三位一体の修道会」と「キリスト教徒救出騎士団」がその名前です。

それぞれ資金集めに注目した記述が登場しますが、修道会の方についてまとめてみます。 「修道会」のスポンサーは時の法王イノケンティウス三世。ローマの門を通過する際の関税のうち十一分の四を得ることができ、活動を開始することができました。

Image illustrative de l'article Jean de Matha
« Jean de Matha » par Unknown XIXe — Scan poster. Sous licence Domaine public via Wikimedia Commons.

さて、こういった活動は継続できるかどうかがポイントになります。この修道会は12世紀に成立後、500年存続し、救出したキリスト教徒は50万人とも言われるまでになります。ポイントは1回めの救出行は成功後のパフォーマンスにあった…というのが本書の主張になります。 以下、文庫本2巻P152からの引用です。

修道士ジャン・ド・マタは、たぐいまれなオーガナイザーであることも示した。哀れな人々の帰還を、最大限に活用したのである。

 群衆で埋まった港の正面に錨を降ろした船から、一人ずつ、幽霊のような元奴隷たちが降りてきた。衰弱し、憔悴しきって、頭髪もひげも伸びたまま。手首と足首には、鉄鎖の跡が赤く残る。十年以上も奴隷として酷使されてきた男たちであったのだ。

 港に集まった群衆からは、初めのうちは声もあがらなかった。マルセーユを中心にした南仏に住む人で、サラセンの海賊に拉致された肉親を持たない者はいなかったのである。(中略)

 元奴隷たちは、一刻も早く故郷に帰り、肉親と抱擁したかったにちがいないが、まだ大切な行事が待っていた。パリまで連れて行かれた彼らは、フランス王からも歓迎の言葉とともに迎えられ、その後でようやく帰宅できたのである。

しかし、首都パリの街路を埋めた歓迎のもたらした効果はやはり大きかった。これら百八十六名の元奴隷は、拉致されたときは「事件」にはならなかったのに、帰還して初めて「事件」になったのである。「キリスト教徒救出修道会」に寄せられる寄附やボランティア志願者が、激増したのも当然であった。

2回めの救出行の成功の後には、貧しい人々が拉致の被害に遭っていることを法王に伝え、継続支援を受けることに成功しています。 ジャン・ド・マタは「まず見せて(知ってもらって)資金はその後ついてくる」方法を実践しているわけですね。

ALS治療法確立のための氷水はまず「知ってもらう」フェーズですね。継続的な資金集めについても記述があります。P161から引用。

マタの戦術も巧みだった。王や有力な君主の援助に頼るだけでなく、「草の根」と言ってもよい援助も軽視しなかったからである。針が壊れて使いものにならなくなった羅針盤、携帯用でも直径十センチはあるのだが、その羅針盤を、教会に一つずつ置くようにしたのだ。ミサの終わった後に信者たちは、その中に幾らかの銀貨や銅貨を入れる。一時で消えがちの同情心を、続けて思い出させるための策でもあった。

さて、ALSの活動は「続けて思い出させる」ためにどのような手を打つのでしょうか。

私はALSではなくて、もっとたくさんの困っている人に対して活動している団体を見つけて寄附なりすることにします。発案者もそれで喜んでくれるでしょう。

しかし、同じ著者の『海の都の物語』で描かれていた、中世のエルサレムへの聖地巡礼事情「聖地巡礼パック旅行」といい、”時は移り所は変われど人類の営みに何ら変わることはない”という気分になりますね。


Jean de Matha — Wikipédia(フランス語Wikipedia)

ローマ亡き後の地中海世界1: 海賊、そして海軍 (新潮文庫)

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