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偽善を身につける

偽善者を意味するギリシア語「hypokrites」はもともと舞台の上で演じる人、つまり、俳優を意味していた... そんなことを、『今こそアーレントを読み直す』で読みました。

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

同じ話題は『ローマ人の物語』でも、アウグストゥスやティベリウスの物語のなかで出てきます。 アウグストゥスは偽善者、つまり演じ続けることできた名優でした。民衆や元老院をいい意味でだましきったと言えるかもしれません。 しかし、本音の人ティベリウスは、「○○のふりをする」ことができません。最終的に家庭でもつらいことばかり、ローマ市民からもローマに帰ってこないことを非難されてばかりいました。

そして、なぜ、自分がティベリウスに同情する心情を抱いてしまうかということにふと気がついてしまいました。私は偽善を使いこなせていないため、ティベリウスの取る態度が自分のことのように思えてしまうのです...

独善の弊害

本音の人が危険なのは「独善」に陥る危険性があるということです。 「自分はやることやってるんだ」というのは、たとえ本当にやることやっていたとしても、あまりかっこいい台詞とは思えません。悲しいけど。

「本音」「虚勢をはらない」というと聞こえはいいですが、もてなしを受けているときに疲れているからと言ってムッツリしているのは、周りから見てどうでしょうか。 「だったら来るな」と不快な思いを抱いたり、「楽しくないのだろうか」と不安に思われたりしてしまうのは、好意に結びつきそうにありません。

偽善の効用

「偽善」というと響きが良くないですが、言い換えると、「演技する」「虚勢を張る」ということだと思います。 相手に楽しい思いをしてもらったり、喜んでもらったりと、いい感情を抱いてもらうことを大事に思うときには、必要なことだと思います。。 心の底から楽しめていないような状態のとき、楽しそうなそぶりをするだけでも、少なくとも相手に不安・不快な思いをさせることはありません。

人付き合いを考えたときに、これは重要なことではないでしょうか。 慣れないと疲れそうだけど。

人付き合いを円滑にしていくためには、「偽善」が潤滑油になるのです。「本音の人」は本音の通じる範囲や、本音ベースで行動したほうが効果が得られる場合に留めておき、「偽善」的振舞を身に付けられるようにしていきたい。 こんなことを考えている時点で善人にはなれそうにありませんが、少なくとも「偽善者」になることはできるはずです。