東京ドームにて
6/7に東京ドームで野球観戦してました。銘打つところ「Giants eco SERIES」だそうですが、エコを謳うのであれば、屋外デーゲームではないのかと。照明費はかからない、ドームを膨らませるための空調費も不要。
使っていないときの照明は消してあるとか、空調は弱めてあるとか自慢されても...根本的な解決になっていないような。ドーム球場とナイター開催やめれば、根本的な解決につながるんではないでしょうか。
自宅でNHKを見て
6/8、テレビを見ていたら、NHKが環境問題をテーマに長時間の特集番組を打っていました。
私が見た10時すぎの時間帯は、環境問題に敏感な歌い手によるショーの時間でした。Ecoならば、マイクなし、照明なし、アコースティックな楽器のみによる演奏すればいいと思ってしまいますが、それはさておき。
歌い始めるまえの、彼ら彼女らから語られるメッセージは、善意のかたまりです。しかし、その善意のかたまりを見ているとなんだか違和感があるのです。しかも、二言めには「温暖化」。平原綾香さんは、ホッキョクグマが小さくなった氷の上で見を縮こまらせているイラストを披露していました。
これってなにかに似ているなと考えてみましたが、「宗教の勧誘」に似ている気がしたのでした。
あふれ出す善意
宗教の勧誘の人って、目がきらきらしてますよね。ええ、善意なんですよ、善意。きっと、あの人たちを突き動かすものは。善意で行なわれている行為って、どうしてだか反対しづらい雰囲気を感じてしまいます。子どものいたずらが「悪気があってのものじゃないし」と免罪されるように、善意による行動も「良かれと思ってやったのだから」と免罪されてしまう。
地球温暖化の原因が「たまたま二酸化炭素の増加と相関があったように見えただけ」だったとしたら、誰にも罪を問えないでしょう。後から振り返って滑稽だったと思うことはあるかもしれませんけど。
「環境問題といえば温暖化」とばかりに、焦点を当てる手法にも疑問を感じてしまいます。
環境問題って「温暖化」だけでしたっけ? 酸性雨とか、水質汚染とか、他にも取り上げるべき話題はあったような気がすのですが...
「気の流れが悪い!」「光の力が弱っています!」とかいって、実際の原因がほかにもあるだろうに、そこを指摘せずに(できないんだけど)たたみかけてくる「宗教の勧誘」を勝手に思いうかべさせてもらいました。
人類の活動が地球環境に及ぼしている影響はゼロではないでしょう。悲観的にものごとを考えて、事態が悪くなることを防ぐのもいいと思います。しかしながら、論点をイデオロジックに「温暖化」だけに狭めたり、善意のごり押しで迫ってくるのには違和感を感じます。
だいたい、今の生活を根本から変える気がないんでしょう? Ecoになったと言っている基準が、「東京ドームありき」な現状では。