自分が昔習った病院は、「部分の専門家」を生み出す方針だった。
患者さんの方針は上司が決めて、研修医は、まずは手を動かす。
胸水のたまった肺炎の人が入院する。チェストチューブを入れるとか、 人工呼吸器をつなごうだとか、そういう決断は上司が行ってくれて、 研修医は上司の監督下に、手を動かす。
手が動くと、なんだか上手になったようで、やる気が出る。「一人前」になった気がする。
そればっかりやってると、「治る」というのは、部分を積んだ先に、いつの間にか降ってくる何かみたいに 思えてくる。目をつぶって、ひたすら目の前の「煉瓦」を積むことだけに没頭していると、 いつの間にか、そこに「家」ができあがるような。
もちろんそんなことをしても、できあがるのはせいぜい「壁」で、本当は、 指揮をする「大工」がいて、はじめて家が建つんだけれど、「煉瓦の専門家」だった自分には、 それが見えなかった。
もうすぐ家が建たなくなる - レジデント初期研修用資料
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/176
なんか、今の自分の職場のことを言われているようでぎょっとしました。
ある情報を右(A社)から左(B社)に流すようなGWシステムの構築を今担当しているのですが、情報の流れ全体をおさえて会話できる若手がいないように感じます。
「ネットワークの専門家」や「DBの専門家」は、自分の仕事に必要な情報が降ってくるのを待っているだけ。
システム全体のイメージを描いて、各専門家に仕事を渡していく人(元エントリの「上司」)のスキルを身につけようとする人が、若手にはいないように感じています。
まず、会社全体として、「専門家」を作る方向に傾いているようです。
みんな縫えるし切れるし薬も知ってるし、論文だって読む。「手を動かす」ことだったら、 たいてい何だってできるはずなのに、怪我した人を診て、その人が「治ったイメージ」を想像して、 そこまでの道筋をつける、そうした訓練をだれもうけていなかったものだから、 救急外来は最初の頃、まわらなかったんだという。
現地にはそれでも何人か、道筋をつけられるベテランがいて、もちろん現場は動いたのだけれど、 その人たちは「取り替え」が効かないものだから、交代できなくて、ずっと現場に張り付いていたのだと。
あと何年かして、ベテランが現場からいなくなると、このときの状況が再現されそうな気がして、けっこう怖い。
もうすぐ家が建たなくなる - レジデント初期研修用資料
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「サーバの専門家」、「DBの専門家」、「ネットワークの専門家」....は、構築が始まってしまえば、手を動かすことはできるんです。
でも構築にいたる道筋をつけることができない。
ホスト→オープン化の流れを、最前線で受けとめることになった、ベテランの方はこの筋道をつける作業に長けているように思います。
そして、今も最前線にいます。
この人たちが定年などでいなくなる前に、こういうスキルを身につけた人を十分確保できるのか..
まず、自分自身が「上司」スキルを身につけられるように取り組んでいきます。
私自身は「手先が不器用な自分でもなにかを創る仕事ができるかもしれない」という思いで、今の会社に入りました。子どものころ、家を建てていた大工さんと棟梁さんのイメージがあったのかもしれません。
その思いに正直に生きたいと思います。