「日本」対「海外」より「都会」対「田舎」

「海外で勉強して働こう」 でも、その「海外」ってなんだろう。

「場所は関係ない」という人もいるが、ぶっちゃけてしまえばそんなものは綺麗事だ。僕は地方と都心の両方を経験して、東京がどれだけ恵まれた環境なのかを、そのメリットを幼少期から享受している同世代への嫉妬と共に痛感した

田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら

この記事を読んで、ちょっと腑に落ちた感じがします。 要は「海外」って「都会」のことなんだな...と。

タイトルで書いた通り「海外で」。伸びてる場所を海外に見つけよう、という話しです。中国でもインドでもベトナムでも、金のわらじで「伸びてて自分に合った場所」を探しましょう

On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう
ともかく、僕のように、変化と新しいものと刺激が好きな性格にはもってこいの環境であることは間違いない。ただいくら機会に囲まれていても能動的に動かないと無駄なので、その点だけは注意した方が良いかもしれない。

田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら
後記。タイトルと最後だけしか読まない忙しい人のために書いておくが、僕は残りの人生を東京(日本)と心中すると宣言しているわけではないしその逆でもなく、ましてや地方で活動する人を批判しているわけでもないので、念のため。

田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら

上記なんか、「都会(東京)」←→「海外」、「田舎」←→「日本」に入れ換えても文脈が通じる。

さて、私

地元に戻りたいなぁ..と思うことはありません。育ったところは政令指定都市だし、首都圏に属するはずなんだけど、ひとたび地元に帰れば「どこに行っても知り合いがいる」という点では「田舎」です。 「どこに行っても知り合いがいる」状態から一度抜けてしまうと、積極的に交わるのに、すごいエネルギーを要します。 抜けていたときの時間的断絶が「知り合い」同士の文脈に加わることを難しくしてくれているからです。 そして、積極的に交わった結果、待っているのが完結した抜け出せない世界、外の世界に働きかけないまま過ごす世界、繰り返す毎日だと思うと、そのエネルギーを払う気にもなれません。 同じエネルギー使うなら、新しい世界、新しい機会じゃないか...? 少なくとも今は、そう思っています。

「日本を捨てる」という心境にいたるのは、今私が「地元」に感じているような感情を抱いたときなのかなと想像します。 そのような感情を抱くまでは、海外で仕事をしても、日本に戻るんじゃないかなぁ。