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中学受験に失敗しない一つの原則

この先、自分の子どもがするかもしれない身でもあり、また自身が経験者であることから、「中学受験」は頭のなかを占めるキーワードになっています。 中高一貫校に入ることができれば、高校受験もなくて、4,5年遊べますからね。(^^

私自身は、受験して、中高一貫校に入学をして良かったな...と思っています。 地元の公立中学に進学した場合がわからないので、比較できないのが残念ですが、良かったと考える理由は、ぱっと思いついたもので以下のとおり。

● 高校受験がなくて、のんびりできた ● 校風が合っていたのか、楽しい6年間を過ごせた (一生ものの友達、それに現在の妻にも出会えました) ● 就職活動のSPIが怖くない (英語以外の出題は、中学入試レベルです)

でも、『日経 Kids +』とか読んでいると、中学受験に対して、ポジティブなイメージだらけで正直引きます。開成に入れば「エリート一直線」ですか、そうですか。

自分自身も受験の経験があり、その後、中高一貫校で過した6年間があり、現在社会人になっている同級生を観察していると、いろいろと「現実」を突き付けられるわけです。

たとえば、受験時代であれば... ● 成績が勉強時間に比例するなんて、ウソ ● 努力の角度がずれている人は、なにをやっても成績上がらない ● 成績のいい人ほど、結構ファミコンで遊んでいたり、マンガ大好きだったり

合格!そして、入学すると... ● 自分の実力より上の学校にチャレンジして、たまたま受かって入学すると学校で「おちこぼれ」になることが多い ● 中学受験で燃え尽きる人がいる ● 親の考えと学校の方針が合わないと、子どもが悲しい思いをする(部活のことで揉める例を目撃)

大学入試の局面では... ● 中学受験当時、偏差値トップクラスだった人が、高校卒業時点でトップクラスとは限らない

社会人になると... ● そんなに「エリート」っていいものか? ● 世の中「エリート」だけで成り立っているのでもないんだがなぁ ● 学歴って、受験産業に投資した額の証明でしかないのではなかろうか (特に人口が減りはじめた、私と同年代あたりから...)

結果、『日経 Kids +』や『読売ウィークリー』、『プレジデント ファミリー』に出てくる中学受験の成功例の数々、ポジティブ な面ばかりの強調は、うさんくさい印象を受けてしまうのです。

中学受験の失敗学 (光文社新書)

中学受験の失敗学 (光文社新書)

目次を見るとこの本『中学受験の失敗学』は、デメリット側から攻める構成になっていたので、興味を惹かれ、買って読んでみました。

ざっとこんなストーリーです。 1章: 受験失敗の実例、エピソードの数々 2章: エピソードを分析して、ツカレ親とは何ぞやを考える 3章: 志望校全滅しないためには...?

本書で登場する「ツカレ親」という言葉は、以下のとおり定義されています。

ツカレ親とは、「子どもの学力に見合わない志望校を掲げ、塾や家庭教師に費やした時間が勉強した時間だという勘違いのもと、どこまでも暴走を続けてしまう親」のことです。ツカレ親を特徴づけているのは、まさにこの思考と行動のパターンであって、このパターンに当てはまる限り、高学歴だろうと、生活態度が模範的だろうと、ツカレ親であることに変わりはないのです。

こういう思考パターンにはまらないようにするポイントは一つだけのような気がします。 「自分の子どもを特別だと思わず、現実を見据える」

学歴なんかなくたって、「エリート」じゃなくたって、楽しい人生を送ることができる...という実例は身近にころがっていると思うのだけど、それを親が示すことができない、というのが不幸のはじまりのように思うのです。 私が感じるうさんくささというものも、このあたりに起因していると思います。 つまり、上で挙げた雑誌の記事の数々は「学歴がなければ人生負け組」という「学歴教」の教義にそったものであるということです。 そういう「共通認識」を大勢の人が共有するということは、社会的に不幸なことに思います。「非エリート」が多数の状態で構成されるのが社会の現実だというのに、学歴がないと負けなんて、「非エリート」のやる気を削いでいるんでしょうか。


うーん、偉そうなことを書いてますねぇ。 自分はそうならないように...とは思うのですが、子どもが小6になれば、私も「ツカレ親」の仲間入りかな?