古代ローマ政府の大地震対応

地震の映像を見ていて気が滅入っていたので、そういえば「ローマ人の物語」で地方で大地震が起きたときの政府の対応について書かれていたよな…と思って読んでいました。

Big Earthquake Japan / March 11, 2011 Asahi Shimbun

引用します。 文庫版「ローマ人の物語」(17) 悪名高き皇帝たち[一]から…

 元老院の議員定数は六百人である。公務で帝国全域に散っている議員は多かったとしても、四百から五百の議員が討議を重ねた末にようやく議決になる。結論が出るのに長期間を要することもしばしばだった。これでは、緊急に手を打たねばならないような場合は、機能停止と同じことになる。それでティベリウスは、委員会方式を考えついたのであった。元老院議員の中の五人ないし十人で対策委員会が設置され、皇帝の提案をそこで協議し、ただちに結論を下すのである。また彼らには、決めるだけでなく現地に飛び、実行に移す任務も課されていた。地震や火災等の災害対策では、このシステムは見事に機能した。  紀元一七年、小アジアの南西部を大地震が襲ったことがある。激震の後は火災で、この地方の都市サルディス、マグネシア、フィラデルフィアは壊滅状態。エフェソスまでが余震の被害をまぬがれなかった。ローマ帝国内では、「アジア属州」と呼ばれ、元老院の管轄下の属州である。常ならば元老院での討議を経て対策が決まるところだが、ことは急を要した。  報告を受けるやいなや、ティベリウスは対策委員会の設立を求めた。そして設立成った委員会に、彼の考える対策を提出し、採決を求めたのである。  一、緊急援助とインフラ設備の再建に、一億セステルティウスの国庫からの支出  二、被災者には、五年間にわたっての属州税免除  一億セステルティウスの価値だが、ローマ帝国の防衛を担当する全将兵への、一年間の給料の二分の一にもあたる額である。そして属州税は、現代風に考えれば国税と地方税のことであった。  つまり、ティベリウスの災害対策とは、緊急に必要とする援助と社会資本の再建は、国が考える。ただし、五年の間の税金は免除するから、個々人の再興は自助努力で成せ、であったのだ。  このティベリウスの被災地対策は、一時のことで終りにはならなかった。以後のローマの皇帝たちも、天災に見舞われるたびにこのときと同様の策で対応するようになる。そして当然のことだが、緊急援助の金額と属州税免除の期間は、被害の程度によって決められた。それでも免税期間が三年以内であったことはなかった。ティベリウス方式がモデルになりえたのは、紀元一七年当時の小アジア南西部の再建の成果がいちじるしかったからで、サルディスの街にいたっては三年間で再興され、属州税支払いも再開可能と伝えてきたほどである。

長々と引用したのでまとめると…

  • 税金免除
  • 経済援助
  • インフラ整備援助
  • あとは自分たちでよろしく

2000年たっても政府として、やること、できることは基本的には変わっていないように感じます。 喫緊の問題は孤立している人への防寒と食事の支給ですね。 古代ローマのころと違って飛行機で物資を渡せたりするので、少しは助かる人が増えているでしょうか。

そして、今自分にできること。 自分の仕事を通じて、ライフラインの復旧に寄与することだと考えて、次の出勤から仕事をこなしていこうと考える次第です。

ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)